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中立地帯 (サウジアラビアとクウェート) : ウィキペディア日本語版 | 中立地帯 (サウジアラビアとクウェート)[ちゅうりつちたい]
中立地帯(ちゅうりつちたい)は、かつてサウジアラビアとクウェートの国境地帯に存在していた 5,770km² の領域で、1922年12月2日のオカイル議定書 (Protocol of Uqair) によって両国の境界線が画定された際に、帰属未決定のまま残された区域であった。 ==概説== 後に「中立地帯 (Neutral Zone)」、「分割地帯 (Divided Zone)」などと称されたこの地域について、オカイル協定(ウカイル協定)は「ナジュド王国政府とクウェートは、イギリス政府を介して本件に関する両国間の新たな協定が締結されるまで、等しい権利を有する」と定めていた。 しかし、このいわゆる「中立地帯」について、より明確な取り扱いを定めようと動きは、1938年にクウェートのブルガン油田で石油が発見されるまで、ほとんどなかった。しかし、中立地帯でも石油が見つかるのではないかという観測が高まり、1948年から1949年にかけて両国政府は民間企業に石油採掘権を与えた。後に両国は、共同管理協定を結んで、石油の開発にあたるようになった。 1960年10月、クウェート、サウジアラビア両国の首脳が会見して間もなく、中立地帯分割に向けた両国間の交渉が始まった。1965年7月7日、両国政府は、中立地帯を分割する協定を締結し、1966年7月25日に発効することになった。具体的な国境線画定についての協定は、1967年12月7日に締結されたが、それが正式に発効したのは、1969年12月18日(ヒジュラ暦1389年シャウワール9日)にクウェートで文書の交換と署名が行なわれてからであった 。協定は1970年1月18日に批准され、協定の内容は1970年1月25日に『''Kuwaiti Official Gazette''』紙上に公表された。 この領域は、1974年にISO 3166が採用されるより前に分割されたため、ISO 3166 コードは与えられなかった。
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